久万高原町には、日本のどこにも存在しない、大切な「たからもの」が存在します。ここで紹介する貴重な文化財は、1962年に発見された史跡:上黒岩(かみくろいわ)岩陰からみつかり、現在、さまざまなところに、保管されています。

この国宝級の資料を、久万高原町に「里帰り」させることは、合併以来の悲願ともいえます。文化財は、地元にあってこそ意味があり、久万高原にさえ戻ってくれば、重要文化財になる可能性が高いのです。

では、愛媛県に、遺跡からみつかった考古資料で、重要な文化財に指定されているものはあるのでしょうか。実のところ、今治市の「伊予国奈良原山経塚出土品」しかありません。これも昭和の初めに指定されたもので、上黒岩岩陰遺跡から見つかった「遺物たち」が指定されれば、それは愛媛県にとっても、なんと80年振りの出来事となるのです。

なぜ上黒岩岩陰遺跡の「資料」はこのような高い評価を受けているのでしょうか。簡単にいえば、日本ひいては、世界の歴史を考える上で、大変貴重な発掘調査事例であり、いまなお研究に不可欠な重要な資料が存在するからです。

縄文時代は、今からだいたい16000年前から2800年前の、土器が出現してから、農耕(稲作)がはじまる前の時代なのですが、この縄文時代は、世界的にみてもきわめて変わった「時代概念」とされます。たとえば、教科書に出てくる青森県三内丸山遺跡の頃に、エジプトではピラミッドがつくられ、いわゆる「王」が存在しています。つまり、1万年以上の長い間、同じような様式の時代が、この島国の中で続いていたわけです。

もちろん、長い縄文時代の間にさまざまな変化があります。その「変化」を読み解くうえでも、上黒岩岩陰遺跡は、とても重要な役割を果たすのです。上黒岩岩陰遺跡には、縄文時代の14500年前、12000年前、10000-7000年前の大きく3つの文化層があり、縄文時代の人たちが繰り返し、生活していたことがわかっています。

なかでも、冒頭で質問した14500年前の「女神石」は、土偶が出現する約12000年前より前の人間を具象化したもの・・と考えられており、私達「ヒト」の現代までつらなる様々な思念や、表現を考える上で、とても重要な意味をもっています。現在は、多様性社会と言われています。国際化も叫ばれ、他者への「眼差し」について、私たちは考えないといけない時代になっています。そうした中で、14500年前のヒトと、対話できる「ツール」が女神石なのです。

上黒岩岩陰遺跡の魅力は、これだけではありません。日本最古の埋葬されたイヌ、世界のどこにも類例のない、シカの骨でつくったヘラ状の道具が寛骨にささった女性人骨、今はもう絶滅したニホンオオオカミ、カワウソの存在等々。太古の昔から伝わる かけがえのない、地域資源が、私たちの町にはあるのです。

この資料の返還と、それに基づく街づくりを推進することを目指し、2016年2月に「女神の里帰りプロジェクト」を発足させました。道程は長いかもしれません。しかし、いつまでも自分たちの地域のものを、預けっぱなしでいいのでしょうか。

ミロのヴィーナスも、ギリシャにはありません。女神はなかなか故郷に戻れないのは、世界的な現象なのかもしれません。こういった文化財の「里帰り」事業は、世界に誇れる、素晴らしい意義を有しています。かけがえのない、たからものを、未来の久万高原のために残せるよう、一歩一歩事業を進めていきます。